HAHAHANO.LABOは
「オレは障がい者じゃなくて問題のある子。」
という息子と。
たまたまデザインを生業としていた母が
何か面白いことはないかしら?と
周りを巻き込んで始めた
これから何かできないですかね~
という実験活動です。
はじめは普通にしたかった。
少し変わった子になる。という名前を喜んで息子につけた自分を後悔したのは、知的障害を伴う発達障害だとわかった時でした。それから、医療や、教育でなんとか普通にならないかと、必死でいろんなことを試しました。できるようになることが目標で、そうならないことに「なんでできないの!」と腹をたてる母。ちんぷんかんぷんな息子。先日、幼稚園の卒園アルバムを開いたら、後ろに将来何になりたいかってみんなのよせがきがありました。あきらかに先生の字で「さっかーせんしゅ」と書いてあった息子のよせがき。それを見ながら今の息子が一言。「この頃は文字を書ける状態ではなかった。」
いろんな人に出会いました。
みんなと同じようにできなくては・・・と焦っていたあの頃。彼は全くそんな状態ではなかったのでしょう。知恵をつけてあげるのが親の役割だと必死だった日々の中、多くの人と出会います。そんな中で、「物事の見方を変える。」という言葉が響きます。私の生業は、一応グラフィックデザイナー。できるだけマネでないようにマネをして、他とは違った考え方を提案できないかと必死なクリエイターもどきの私。かたや、息子はみんなと一緒にできなくて、違ったことばかりしてしまい、怒られている困った子。ん?まてよ?本当に困っているのか?みんなと同じにできなくちゃならないのか?マネできないのは個性じゃないのか?そもそも、普通ってなんだ?
そして普通をあきらめた。
そして、普通をあきらめました。そしたら、自由になりました。それからは、ほんとうにおもしろかった。こうしなくてはでなくて、そうなるのか!に変わる。問題は一つ一つ意味のあるものに変っていく。まちがいは新しい発見となり、彼らのオリジナリティはマネできない何かを生み出していく。流されながら、面白がりながら、できることを彼らとやっていく。私にはオリジナリティーがありませんが彼らにはある。彼らはそれを表現する場がないが、私には場を作ることだけはできる。ヒトって面白いなぁ。
彼らの見方や、考え方を必要だと思う人たちとこれからも出会って、何か面白いことをしていきたいのです。
「オレは普通に問題のある子」
話は、ここからです。彼は、自分のことを障がい者と呼んで欲しくないそうです。では、どう言ったらいいの?というと、「普通に問題のある子」でいいじゃないかというのです。問題があるのはいいんだ。そもそも問題はあるんだね。確かに、障がい者枠。障がい者支援。障がい者保護。言った時点でどこか、くくってしまった気がする。オレとして見てほしいんだ普通にという彼の気持ちもわかります。普通をあきらめた後の普通。なんだ!元に戻っちゃった!
私は、私なりの親感覚で、彼に世の中で生きていくルールを丁寧に伝えつつ、問題のあるクリエイターとしての彼に敬意を持ちながら楽しんでいきたいと思っています。